公務員のすすめ
 公務員との関わり/公務員のすすめ   
庶民に必要なことは、公務員や政治と戦わないこと(2)
庶民に必要なことは、公務員や政治と戦わないこと
後ろの席の人とコーヒーが飲めたら、すべてはうまく進む
なぜ公務員は責任と暴露に弱くなってしまうのか
許認可の審査は、実に楽しい!本物の公務員が続々と誕生
庶民に必要なことは、公務員や政治と戦わないこと(2)
 
庶民に必要なことは、直接公務員や政治と戦わないことです。
あえてここでは政治家と書かないで政治と書いています。

自分が思うようにいかないとき、「政治が悪い!」と言います。
しかし、実際にそうでしょうか。政治が悪いのでしょうか。

では、政治が悪いとして、その政治家を選ぶのは国民です。
国民と政治のどちらが悪いのでしょうか。

当然、投票する側の国民が悪いことになります。
いわゆる、天に向かって唾を吐いているようなものです。

庶民が公務員や政治と戦おうとする考えは、庶民である国民と公務員や政治を同等の位置に見ているからです。

同等でしょうか?
国民は、投票で意思を示します。

その意思を受けて公務員を動かすのが政治です。
ですから、公務員と国民を同じ土俵に置くことはできません。

例えば、不出来な公務員が居たとして、それを動かしているのは政治です。
また、それを選んでいるのが国民です。

正当に選択できない国民だから、政治も公務員も国民を甘く見ているのです。
緊張感が無くなっているのです。

公務員は、国民に対して緊張感はありません。
あるはずがありません。

国民から給料を貰っているという認識が無いからです。
実際には税金なのですが、一旦集められた税金は、公務員のものなのです。

それらを考えると、公務員と国民は、同じ土俵に乗っているわけではありません。
だから戦えないのです。

公務員の給料があなたの税金の一部であったとしても、事業経営者と従業員の関係にはならないのです。
ですから、直接文句を言えないのです。

それらのことを認識して政治を評価する必要があるのです。
<170420>
庶民に必要なことは、公務員や政治と戦わないこと
 
公務員や政治と戦うことほど無駄なことはない。
戦い、抵抗しても、知らないうちにそのようになってしまうからです。

政権が変わったとき、少しは体質が変わるかと思ったが、その後従前の体質に確実に戻っている。
そして、従前以上に特異な体質を見せ始めています。

日本の高速道路網、新幹線鉄道網、数十年、百年前に引いた線は、今でも消せない。
一旦止めても、いつかはできてしまう。

そして、日本の借金が毎年増え続ける状況であるにもかかわらず、メンテナンス以上のメンテナンスが行われています。
政治家と公務員が歴然と存在しているからです。その政治家を国民が支持しているからです。

政治家を支持する国民は、すでに個人主義で固まっています。
隣の人の浮き沈みは、自分には関係がない。言えば、「沈んでくれれば、嬉しい!」と思っています。

そのような時代に公務員や政治と戦うことは、無駄です。そして、彼らとは戦わないで、従順に・・。
楽しく生きるためには、従順に・・。

非難はしない。愚痴も言わない。

いただきものはいただいて、戦わないで生きること。
戦わなければ、とても楽です。
<170414>
後ろの席の人とコーヒーが飲めたら、すべてはうまく進む
 
通常、役所では通路のカウンターからいちばん遠いところに偉い人が座っている。

そして、カウンターの向こう側の通路を歩く人に何となく視線を向ける。
見ているような、見ていないような・・。

机の上は、ノートパソコン。
何をしているのか、時間つぶしをしているのかわからない。

ときどき、その人のところに客が来て、補助椅子に座らせて談笑。
職員は、どのような関係の人かを推測しながら・・。

そこにコーヒーが出て、難しい話をしていないようであれば、良好な関係者だ!

そうであれば、その来客にも配慮が必要だ!
そして、職員の態度が少しづつ変わってくる。

後日、そのときの来客が窓口に来た。不備があったのでやさしく説明。
窓口での申請業務は順調に進む。

その来客は、いちばん遠くに座っている人に目で合図して帰って行った。
許認可などの審査で申請をするときは、カウンターからいちばん遠くの偉い人から攻める。

その日からは、役所に行くのは苦痛ではなくなります。
<170414>
なぜ公務員は責任と暴露に弱くなってしまうのか
 
一般の人は、建築物を建てて良いか悪いかの判断をしてくれるのが「建築確認」と思っている。
そうだとすれば許可である。
役所では少なくともそのように見えるのである。

許可とすれば、災害などで建築物が簡単に倒壊すれば役所の責任!
しかし、実際には役所は責任を負わない!

実は「建築確認」は、許可じゃない。

建築士が建築士の責任で法令に準拠(適合)していることを役所に確認してもらっているだけなのである。
ところが、建築士が簡単に頭を下げるから許可のように見えてしまうのです。

以前こんなことがあった。

それは建築士と役所の人間とが法律の解釈でやりあった。
そこで建築士は、「建築士の資格を剥奪されてもいい、だから役所の人間も責任を取る覚悟で討論しよう!」と言った。

そしたら、役所のちょっと後ろの人が出てきて、
「じゃあ、建築士さんの責任でやってください!」ってネ!

責任の問題になると後ずさりする。それが役人、それが公務員。
公務員は、責任を取ってはいけないのである。
<050129>
許認可の審査は、実に楽しい!本物の公務員が続々と誕生
 
白髪混じりのおじさんが役所のカウンターで、
30才そこそこのお兄ちゃんに向かって頭をペコペコ下げている。

隣りの小さな机でも、初老のおじさんが書類を広げて何かを直し、そこに三文判を押し続けている。
いったい何をしているのだろう!

なぜ若い人たちに向かって頭を下げているのだろう!

例えば、建築確認!
ただカウンターの中の若いお兄ちゃんの指示で黙々と設計図を直している。

白髪混じりのおじさんは、建築士さん!
設計図を直して、担当者の手が空くのを待っている。

審査は楽しい!

親父ほどの年代の人たちが頭を下げるんだから・・・。
また、若者が本物の公務員になっていく!
<050127>